March 29, 2021

思出の記・神谷町

私が幼稚園から小学2年前半まで住んでいた北区神谷町とその周辺について触れてみたい。
この当時、駅名は下十條駅で新小岩に引っ越してすぐに駅名が東十条に変わったが、住んでいるときのイメージが根強く、つい下十條の名が浮かんでしまう。
京浜東北線だから駅の西側は山側になり、駅から北側に少し行ったところに、トンネル状の穴が掘られていた。横穴だから防空壕とは違うようだが、その穴に入ることができたので、冒険気分を味わうことができた。
あまり商店街のことは覚えていないが、工場の焼け跡のような広場があって、そこで野球をした覚えがある。もちろん小学低学年なので守備は外野で、工場の壁だけが遺された場所での守備でもあった。
住んでいたのは大きな家の2階、いわゆる間借りであった。トイレは2階にもあった記憶がある。
この大家さんは、創価学会の人で、そのため母親が創価学会にこの時だけ入っていた。その学会の大きな集会に母親と参加したこともあった。